今年のゴミ箱
2021-12-08


昔から資本主義の害悪や資本主義の危機が叫ばれながらも、資本主義は一向になくなりそうもない。しかしその資本主義はかつてのものとは違ったものになっている。
 自由資本主義の牙城であったアメリカ自体連邦政府が100兆円を超えるインフラ投資をするようになっている。
 他方で資本主義にとって代わるかに見えた社会主義はマックス・ウェーバーも予期していたように経済学的には成り立たずさしあたりは退場したかのように見える。確かに中国は一応は社会主義を自称しているが、その実質は国家資本主義と変わりない。
 こうした事態は純粋の資本主義も社会主義もそれ自体ではありえなくなっていることを示すもので、経済体制はいずれにせよ複合的なものになるほかないことを表している。
 だから資本主義それ自体の正当性はもはやなくなっているのであるから、成長か分配化などというのは古い資本主義の枠の中の問題であり、まして持続可能性の要件を備えない資本主義は資本主義ですらないと言ってよいであろう。
 社会主義が問題にし中心的なテーマの一つは労働力の商品化にあったが、フーリエのファランジェのような構想は結局はユートピアにとどまらざるをえないということになったと言ってよいであろう。経済というものは人間の物的欲望を肯定するものであり、それはリビドーのように破棄することはできず、制御するほかないということであろう。それは具体的には社会的な市場経済の姿をとるものとなるであろう。
 こうして経済に関しては体制選択の問題は消失しつつあると言ってよいであろう。物質経済は狭い地球上で直接に接続しており、経済体制は均衡化せざるをえないのである。
 これに対して政治の世界では民主主義が争点化するようになっている。一方でアメリカに代表される欧米民主主義があり、他方で中国に代表される非民主主義国家群があり、それがイデオロギー的に対立するようになっているのである。アメリカは欧米の民主主義に対立する中国やロシアを「専制国家」と規定している。体制選択の問題は民主主義をめぐるものになっていると言ってよいであろう。
 
 しかし欧米民主主義の旗頭を自任するアメリカでもまさしく民主主義の危機が表面化している。それを端的に示すのは昨年の大統領選挙でトランプが選挙結果を否認したことであるのは言うまでもない。この民主主義への挑戦は今年の1月6日のモッブによる議会襲撃においてピークに達している。
 アメリカの大統領選挙は一般選挙で終わるものではなく、選挙人の選出などの何段階かのプロセスがあり、その最後には議会における投票の確定作業があり、それが1月6日に行われることになっていた。実質的には一般選挙で決まっているのだから、議会での作業はセレモニー的なものであるが、これによって最終的に当選者が決定される。
 トランプは様々な州で選挙の不正を提訴していたが、すべて裁判所から却下され、議会での作業が最後に残された機会であった。当日トランプは暴徒を前にして「命がけで議会に行け」と指示しており、モッブは議会に乱入したわけである。これはベルリンやミュンヒェンにおけるナチス党員の議会襲撃事件とほぼ同じものである。バイデン大統領が実益のない民主主義の宣教師になっているのは立派なことであるが、自国内での右派集団によるクーデタという民主主義の破壊工作に目を閉ざしているのは片手落ちである。
 FBIは数百人の乱入者を逮捕して処罰しているが、この事件の主犯はトランプであるから、末端をいくら逮捕しても意味はないであろう。退任した大統領には特権はないはずであるから、FBIはトランプを逮捕・収監すべきであったのである。明らかなことはトランプがいなければこの事件はありえなかったということである。アメリカにも捜査局の問題があることを窺わせる。ヴィデオを見ると議会警察は本腰で暴徒を阻止しようとはしておらず、議会警察にもトランプへの内通者がいたことを予想させる。

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