今年の屑拾い(最終回)
2019-11-28


1 ガラパゴス列島
 今年は元号が変わったようである(私は全く使用しない)。この元号というものは民俗学的に興味ある現象である。世界にはほぼ200のいわゆる国家というものがあるが、そのうちで自国だけの年号を使っているのは日本国だけである。国民は気が付いていないようであるが、日本国はこの点でも世界で珍しい国家である。
 日本国は独自の元号を使用しているが、特徴的なのは西暦も使用していることである。つまり日本国は二重の年号を持っているわけであるが、その自明ともいえる二重年号の不効率性を意識していないことはいかにも日本国的である。
 生活の基本的な指標を二重にしてなんとも思わないということは、まさしく多神教的だということであろう。神道や仏教等もごちゃまぜにしてケロとしており、和魂洋才であり、洋魂和才でもある。
 したがって二重年号というダブルスタンダードは端的には無原則性という意識の現れとみられる。元号は日本人の無原理性、融通自在性、機会主義を示すものであろう。この無原理性は国家原理を定めた憲法論議に現れることになる。ここでは何を変えるかというのではなく、改憲が自己目的になるという世界に例のないような滑稽な改憲論が生まれる。
 元号は天皇にともなうものとされているから、元号があるということは歴史は天皇が形作るものであるという考えの現れであろう。ここには国民が主権者であるという意識はほとんど存在せず、はからずも臣民根性が表面化することになっている。
 だから元号が変わったから「時代」が変わったなどという迷論も生まれることになる。国民主権であるならば、元号は単なる期間を示す記号であろうが、天皇が時代を作ると見るのであれば、元号は「時代」を示すものになる。しかし今の天皇はもはや時代の実質的な構成要素ではないのである。

2 引きこもり症候群
 元号は「時代」の指標ではなく、単なる期間の記号に過ぎないが、ヘイセイというものが終わったことに伴って、その期間の概括というものがあるようであるから、一応若干の特徴点を羅列することにしよう。
 この期間はベルリンの壁が崩壊して東西の冷戦構造が解体していき、他方では中国が天安門事件を制圧して経済大国化し、米中両超大国構造が生まれてくる時代である。その中にあって日本国は長く冷戦意識から脱却できず、環境の変化に挑戦するというよりは、自国に閉じこもることによってアイデンティティを確保しようとしたと言ってよいであろう。したがって内向きということが基本特徴であり、保守化と右傾化がその帰結である。バブル経済が崩壊し、経済は低迷していたが、経済不振の不安的期にファシズムが生まれるのは世界史の定石である。
 政治的的はこの期間はいわゆる政治改革の時代であった。自民党の長期政権のもとで様々な腐敗が表面化し、その元凶は自民党の派閥にあるとされ、政策本位の選挙にするために小選挙区制が導入されることになった。これは政界の問題というよりは自民党の事情であったであろうが、さらに政権交代をしやすくするということも主張されていた。しかしこの小選挙区制の導入は、人口四十万人程度の選挙区で支持をえればよいうのであるから、外交問題などを議論できる国会議員はいなくなっている。そうして小選挙区制は絶対多数を作りやすい方独裁的な生還を生み出すことになった。政治改革がなされることによって政治は死んだのである。そうしてこういう政治改革の旗振りをした皮相な政治学者も同伴者となった。

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